◎8月21日発売

*唄の市〜エレック・ライブ選集

横浜育ちの僕は中学生の頃、TVKの音楽番組『ヤング・インパルス』を週末の楽しみにしていた。僕が中学生になったのは1971年で、その頃から日本のフォークは最高に盛り上がっていったのだ。60年代末期からのフォーク・ブームは学生運動と密接な関係にあり、最初はかなり左翼的なものだったが、70年代に入ると“青春期の心象風景”を歌にするシンガーが登場し始め、ファン層も徐々に低年齢化していった。“フォークの神様”と呼ばれた岡林信康、現在も活躍する遠藤賢司、高田渡、中川五郎らを擁したインディペンデント・レーベル「URCレコード」が、当初は独占的にフォークのレコードを制作していたが、70年に設立された「エレック・レコード」から吉田拓郎というスターが生まれると、フォークの勢力は二極化していく。僕が意識的に音楽を聴き始めたのは中学に入ってからだが、その頃にはすでに「左翼的で大学生向きの「URC」、「思想性が薄く中高生向きのエレック」といったパブリック・イメージが定着していた。

 TVKの『ヤング・インパルス』は、フォーク・シンガーやロック・バンドが毎週3〜4組出演して、スタジオ・ライヴを繰り広げる公録番組だった。いつ頃始まったのかはよく覚えていないが、拓郎さんの「結婚しようよ」がミリオン・セラーを記録した後ぐらいからだったんじゃないだろうか。スタジオに詰め掛けていた観客は高校生が多かったと思うし、出演するフォーク勢はエレック・レコードのアーティストが中心だった。古井戸や海援隊はセミ・レギュラーのような形で出ていたからよく覚えているが、中1の終わりにエレキ・ギターを買ってバンドの真似ごとを始めていた僕は、どちらかというとロック・バンドの出演を楽しみにしていた。エレックのレコードには必ず譜面がついていたから教則本がわりによく買ったけれど、いわゆるフォーク調なのはどうもダメで、僕が当時気に入っていたエレックの盤は、拓郎、古井戸、生田敬太郎といった辺りだったのだ。

 生ギターの弾き語りで『ヤング・インパルス』に登場したシンガーの中で、忘れられないのは3人だけだ。最後は裏声で熱唱となるベートーヴェンの「歓喜の歌」を歌った遠藤賢司、飄々と「下宿屋」を歌った加川良、そして、僕らには解らない言葉が歌詞の半分を占める「ドゥーチュイムニィ」を歌った佐渡山豊である。

 この一年弱の間に、僕は元・古井戸の加奈崎芳太郎さん、生田敬太郎さん、斉藤哲夫さんと同じステージに立っているが、まさか佐渡山さんのCDのライナーノーツまで書くことになるとは思ってもみなかった。四半世紀前に先輩たちに与えられた衝撃に、順番に恩返ししているような気分でもあるのだが、佐渡山さんの作品に、東京生まれ、横浜育ちのボンボンである僕なんかが言えることは何もない。この春に行われた久々の東京ツアーは渋谷のジャンジャンの日に脚を運んだが、返還から25年経っても何も変わらない“沖縄の真実”を伝える佐渡山さんの歌に、僕は再び大きな衝撃を受けた。そして「僕らはあまりにも沖縄のことを知らなすぎる」と痛感してしまったのである。感動するひまもなく反省させられてしまったんだからタチが悪い。正直に言えば、このライナーも「もう少し勉強してから書かせてもらいたかった」と思っているぐらいで、何だか申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ。

 外タレのインタヴューでも動じたことがない僕をこんなに反省させるのは、佐渡山さんの歌が“生きている”証拠である。流行りのダンス・ビートなんかには見向きもしないのはもちろんだが、佐渡山さんの歌はまるでカッコいいことに背を向けるように木訥としている。25年前はそんな佇まいの中にもシンガーとして生きる若者らしいカッコつけがあったように思うが、一度は引退し、そして再び歌い始めた彼にはそういう気負いがまるでないのだ。だから歌が自然に入ってくる。聴く者にまっすぐに向かってくる。今も歌い続けている「ドゥーチュイムニィ」は人間でいえば25歳の大人である。立派に成人してスクッと立っているような歌は、間違いなく生きているのだ。

それをカッコ悪い、生身のおっさんがやっているからいい。言葉のひとつひとつが伝える動かし難い真実と、カッコ悪い佐渡山豊が重なった時、彼は本物のフォーク・シンガーとなったのだろう。

  ◆    ◆    ◆    ◆

 佐渡山豊は50年12月8日にコザで生まれた。岡林信康の「私たちの望むものは」に衝撃を受けて、70年に音楽活動を開始。沖縄フォーク村の中心メンバーとして頭角を表していく。沖縄が日本国に返還された72年5月15日直後の6月3〜5日、エレック・レコードの企画制作による『唄の市〜沖縄フォーク村』の録音が現地で行われ、佐渡山はここで25番にまで及び、8分を超える大作「ドゥーチュイムニィ」を発表するのだ。沖縄勢の演奏をバックアップするために、エレックは東京から高中正義、小原礼、つのだ☆ひろを送りこみ、本土ではまったく無名だったフォーク・シンガーたちを盛り立てた。

 その後上京した佐渡山は73年5月、吉田拓郎のバック・バンドとして知られていたマックスの協力によるファースト・アルバム『世間知らずの佐渡山豊』を発表。74年には西岡たかしがプロデュース、中川イサトがアレンジを担当した第2作『仁義』をリリースした。傾いていったエレックを離れた彼は、メジャーでライヴ盤を含む4枚のアルバムを発表したが、ニュー・ミュージック化を望む業界との間に距離を感じたのか、78年に沖縄に帰り、一度は音楽活動を停止してしまうのだ。

 本作に収録の「ねずみ」「廻り道」「沈黙」「おまつりちょうちん」「戦争ごっこ」「酔っ払い」「しゃぼん玉」「かけっこ」は『世間知らずの佐渡山豊』から、「変わりゆく時代の中で」「さとうきび畑の唄」「まちゃとぅあんまあ」「春は待ちぼうけ」「十九の春」「仁義」は『仁義』からのナンバーである。エレック・レコード時代のレア・トラックと言っていい「ドゥーチュイムニィ」はオムニバス・アルバム『闘争の詩』に収録されていた弾き語りヴァージョン、「想い出話」は『流行歌傑作集』に収録されていたオリジナル・アルバム未収録曲のライヴ・ヴァージョンだ。なお、『唄の市〜沖縄フォーク村』『世間知らずの佐渡山豊』『仁義』はオリジナル・フォーマットでCD化され、ヴィヴィド・サウンドから発売されている。

 しばらくは名前さえ聞かなくなっていた佐渡山豊だが、近年になって音楽活動を再開。97年1月には19年振りのアルバム『さよならおきなわ』を地元のキャンパス・レコードから発表した。「ドゥーチュイムニィ」の新録ヴァージョンが沖縄・菊之露酒造のテレビCMに使われたこともあって、同曲を収録したこのアルバムは地元ではかなり話題になったようだ。また98年初頭には「ドゥーチュイムニィ」の最新ライヴ・ヴァージョンを含むマキシ・シングル『行雲流水』をハーヴェスト・ファームというインディ・レーベルからリリース。そして3月には20年振りの東京ツアーを敢行したのである。

 このCDを聴いて佐渡山豊を気に入ったら、ぜひとも『さよならおきなわ』と『行雲流水』を入手してほしい。しっかりと成人した「ドゥーチュイムニィ」は最早“普遍的”でもあるし、新曲群も素晴らしいからだ。英語で歌うボブ・ディランが武道館や東京国際フォーラムをいっぱいにするんだから、佐渡山さんの“来日公演”は渋谷公会堂でもおかしくない。沖縄が誇る本物のフォーク・シンガーを、みんなで大切にし、応援しようではないか。

   1998年7月1日 和久井光司


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