忌野清志郎カバーアルバム。本国最高のアーティストによる、
音楽史上最も想像力あふれるキング・オブ・コンピレーション!
オープニング〜エンディングまで、まるで一本の映画のようにコンパイルした、
一世紀後に聴き継がれていくスタンダード作品集。

2012年5月2日発売
「KING OF SONGWRITER〜SONGS OF KIYOSHIRO COVERS〜」

オリジナリティーとは何か?ある人は奇抜な言葉や変わったメロディー・ラインといい、
ある人はかつて聴いたことのないようなアレンジメントと答えた。また友人の音楽関係者は
ビートルズだと確信している。人によってその捉え方は様々である。僕はこう思う。同じ
歌詞、メロディー、アレンジで歌って(または演奏して)も、「あいつ凄いな!」と感じることが
できるのが本当のオリジナリティー。旋律や構成はあくまでも媒体にすぎず、大切
なのはその向こう側に存在しているSOMETHING。卓越したソングライターにカバーの名
演が多いのも、ここに起因しているのだろう。


アーティストと作品の関係は宇宙なんてレベルじゃない。永遠というには軽すぎる。遺伝
子なんて吹き飛ぶよ!そこには歴史上、たったひとつしかないコミュニケーションが成立
する。恋愛や人類愛や母性とも異なる関係。後世にバトンされ、人々の心に刻印される。
自作自演の作品はもちろん、カバーとなると別の興味も広がる。オリジナルの作者はどん
な人なのかとか、ファースト・リリースの音源を聴いてみたいとかetc。そして、そいつは
新たなるオリジナルとなる。ビートルズ「ツイスト&シャウト」、ローリング・ストーンズ
「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」、RCサクセション「ラブ・ミー・テンダー」、ザ・フー
「サマータイムブルース」、etc。みんなみんなオリジナルだ!


これを読んでいるリスナーには信じられない話かもしれないが、日本語がビートにのらな
いと決めつけられている時代があった。音楽雑誌での論争がヒートアップして、学生達に
も飛び火。ロック喫茶やライヴハウスでも日夜、熱い意見をぶつからせていた。


1970年、日本のポップ音楽創成期、本盤のメインテーマ 忌野清志郎はデビューした。バン
ド名はRCサクセション。3人のハード・フォーク・スタイルで、名前も、サウンドも、声も、
何もかもが異端。スマッシュヒットもあったが、長い暗黒時代を経て、1980年に5人のロ
ックバンドになってブレイクした。派手なメイクに衣裳で、ストーンズのスタイルを踏襲
したライヴ。そこには日本語が見事にビートにのっかって、それまでの歌謡曲や歌謡ロッ
クとは一線を画した、全く新しい音楽が存在していた。普段、僕達が使っているような話
し言葉で、サビという概念を度外視した楽曲構成、歌とバックではなく、バンドサウンド
としての編曲。ここではじめて彼らの存在を知った、当時、17才だった僕は凄い新人があ
らわれたと思ったことを憶えている(笑)無知とは罪である。その後、デビューしてから
10年近く経過していることや、以前は3人のアコースティック編成だったことを知るが、
驚くべきことは時間や時代を超えた楽曲群の輝きにあった。


日本語の持つリズム、そこに内包されたいくつもの真実、シンプルでありながらポップで
独創的なメロディー。すぐに口ずさめる異端な歌。愛の意味すらわからない10代に、ラブ
ソングを教えてくれた。僕は清志郎のラブソングというアングルから、恋や友情、社会と
の接点を探し、愛の意味を理解しようとした。


それから数十年、清志郎はトップランナーとして、日本の音楽シーンを走り続けた。
スターダムにのぼりつめ、KING OF ROCKと尊敬され、数多くの作品を発表。時には激しく、
時にはやさしく、時には大きな愛で包み込むような楽曲群は、日本のロックのスタンダード
になると同時に、オールキャリアを通して、不思議な親近感にあふれている。たぶんそ
れは、どんなに有名になっても、僕達と同じ場所・同じ空間に立っていたからだろう。上か
らでも、横からでもなく、同じ場所から歌っている。


創造の原点は発見と進化にある。いつだって真っ白なほうがいい。
デビュー20年目の夏、インタビューで清志郎はこんなことを言っていた。
"有名だからと言っていい曲ができるとは限らない。
今日、ギターを弾き始めたばっかりの奴にもいい曲ができる可能性がある。"
音楽はいつも可能性に満ち溢れている。
世界や時代がどんなに変わってもそれだけは変わらない。
「KING OF SONGWRITER〜SONGS OF KIYOSHIRO COVERS〜」は忌野清志郎の
ソング・ライティングに光をあてたカバー・アルバム。本国最高のアーティストによる作品集
である。ジャケットも含めて、まるで一本の映画のような作品。聴けば聴くほど新しい景
色に出会える。この原稿を読み終わったら、1曲目からまた聴いてほしい。そして、もし
これを読んでいる君が2012年の住人なら、一世紀後=2112年のリスナーへ向けて、2112
年の住人なら2212年のリスナーへ向けて、魂のバトンをしてくれたなら最高だ!











CDは芸術であり、エンタテイメント。音とジャケットでひとつの物語を綴る。ビジュアル・
プロデュース&写真は有賀幹夫氏。氏は2010年〜2011年、忌野清志郎写真展を全国で
ビッグスケールに開催し、成功。写真集も発売して、現在もロングセラーとして売れ続けて
いる。ローリング・ストーンズ、吉井和哉etcのオフィシャル・フォトグラファーとしても
有名で、本作品のコンセプト及び選曲においても多大なるご尽力を頂いた。


氏の発案で、清志郎の母校、数々の名曲の舞台となった東京都立日野高校で撮影すること
になった。テレビでは何度か見たことはあるが、行くのははじめてで、僕も有賀氏も興奮
していた。そんな盛り上がりとは裏腹に、撮影予定日が近づいてくるにつれ、天候が悪く
なり、雪まで降ってくる始末。このまま悪天候が続くと撮れないかもしれない。不安のな
か、迎えた撮影当日は朝から晴天。雪も解けて、絶好の撮影日和となった。有賀氏が、
期待とカメラを手に日野高校敷地内に入った途端、何かが憑依したようにシャッターをきり
はじめた。そこからはもうライヴ!ライヴ!ライヴ!一気に100枚近く撮影した!氏と
長く仕事をしているが、あんな瞬間を目撃したことはない。
その後も有賀氏のイマジネーションはとどまることを知らず、撮影は続いた。晴れた日に
は別アングルを撮りに再度、日野高校へ、真夜中に月と歩道橋を撮りに国立駅前に、そし
て、ブックレットをイメージして、聖地 多摩蘭坂へ!凄い!もちろん、あがってきた写真
はどれをとっても最高!さすが、世界の有賀幹夫!いまさらながら感服!


写真は歌う。朝に陽が昇り、太陽が真上にきて、夕闇が落ち、ゆっくりと夜が明けていき、
再び新しい朝がくる。景色の向こうに映るのは何か?

僕はこう思う。LIKE A DREAM。夢はかならず現実になる。

ジャケット表1は通学路の写真。未来へつながる道でもあり、帰り道でもある。

有賀幹夫氏入魂の作品。ロックンロール!




  




   


ミックス前にスタジオで聴かせてもらった時、17才のロック少年が屋上から外を眺めてい
る光景が降りてきた。それは彼らのようでもあり、清志郎のようでもあり、ひょっとした
ら僕だったのかもしれない。晴れ渡っている空の向こうにあるであろう未来を、不安と期
待を胸に、毎日、意味もなく眺めている。最高にロマンティックだ。こんな少年少女に聴
いてもらいたい!前半をアカペラ、中半から楽器が入り、物語がはじまる。明けていく空
のような想像力を持つこのテイクからスタートできることを、僕は本当にうれしく、誇り
に思う。何にもなくても、内ポケットに夢と想像力さえあれば、それだけで超えていける。
音楽は君や僕のとなりにいつもいるのだから。


オリジナルは1980年10月、シングルでリリース。RCサクセションを決定的な存在にし
たナンバー。この歌で一体、どれだけの少年少女が夢を見ただろう。内ポケットのトラン
ジスタ・ラジオは、自分にとって一番大切な夢。どんなに世間や時代が変わっても、一番
大切な夢だけは変えられない。そして、必ずそいつを鳴らすんだ!あきらめたり、投げ出
したりしなければ、必ず君のトランジスタ・ラジオは鳴らせるのさ!清志郎はそいつを体
現した。このナンバーが収録されたアルバム「PLEASE」(1980年12月発表)でRCサク
セションはブレイク!僕達の夢の扉を開けてくれた!




NY録音。彼女のパブリック・イメージをぶっ飛ばすナスティーなロックンロールは、美し
くも毒々しい猛獣となって僕達に襲いかかってくる。デカダンスとデストロイ!彼女はこ
うやって世の中と戦っている。理解されないことをエネルギーに変換させて、人をイメー
ジだけで決めつけてくる奴らと戦っているんだ!歌詞は清志郎がよく歌っていたライヴ・
ヴァージョンで歌われている。「だけどそいつがアレを持ってたら 俺は手を突っこむ Oh,
つきあいたい」!百の言葉より強烈なロックンロール!Hey!ちひろちゃん!
つまらない世界をぶち壊してくれ!


オリジナルは1982年10月発表のアルバム「BEAT POPS」の1曲目に収録。同年、12月、
リカット・シングルとして「窓の外は雪」をフリップサイドにリリースされている。RCサクセション
人気絶頂期の作品。アルバム最高位2位。たった2つのコードしかないナンバー
をシングルにした史上最高のロックンロールバンド RCサクセション!こんなバンド、
世界中探しても見つからないぜ!




イントロのギターが出た瞬間にこのアルバムの勝利を実感した。何の根拠もないが、座っ
ていた椅子から飛び跳ねていた。ユリナちゃんのVoが歌い出した時、いてもたってもいら
れなくなり、気がついたら歌っていた。そして、この興奮を誰かに伝えたくて、共同プロ
デューサーの原さん(メディアプルポ)に電話!"住所不定無職は最高だ!"って叫んだ!!
彼は僕が会社を追い出されたのかと思ったらしい(笑)!つまり、これがロックがロール
するってことなんだ!彼女達のプロデューサーのネモトさんから、たった一日で、レコー
ディング〜ミックスまで仕上げたと聞いて、この輝きの意味がわかった。彼女達はいつも
ロックンロールなんだ。毎日がチャーミングだから本当のメッセージを伝えられる。ポッ
プであることは最高の宝石。いま、本当のことを歌うから宝石が輝く。世界が暗くふさぎ
こまないように。


オリジナルは2004年11月シングル、翌年、デビュー35周年アルバム「GOD」に収録。ラ
イヴでも人気が高く、武道館やフジロックのグリーンステージ等、会場全体がJUMPする
ナンバー。メジャー・コードのリフと明るいメロディーにのって、本当のことを歌うロッ
クンロール。2008年完全復活祭at 日本武道館のオープニングで歌われたこのナンバー、
それはロック史上最高の歴史的瞬間となった!




世間からズレていることが僕はかっこいいと感じる。この国では集合体からはじかれてい
ると、白い目で見下げる。誰かが作った基準というやつを振りかざす。いまの時代はこう
だとかああだとか言い出す。そんな風潮から脱出するには、ぼんやり外を眺めてるしかない。
OUTA SPACEなんて気取ったものはない。エスケープできる空間すらないのだ。しか
し、夢だけは誰にも邪魔されない。想像をはるかに超えた妄想は自分にしかできない生き
方を映し出す。夢を本気で見る力が世界を変えるんだ!志磨遼平が見た夢が、ロック少年・
少女達の世界を一変させたように、この歌を聴いた新しい子供達が本気で夢を見られる世
の中にしたい!いま窓の外を見ている子供達へ。"大丈夫だ、君は間違ってない。もうすぐ
君の足で歩き出す時が必ず来るよ!"本気で見る夢は必ず現実になる。


オリジナルは1992年2月、シングルの表題曲としてリリース。同年、3月発表のアルバム
「Memphis」に収録。清志郎の少年の頃からの憧れ、BOOKER T.&THE MG'Sとともに、
聖地メンフィスで制作された作品は、ヒットチャートを賑わせ、テレビの人気番組「ミュー
ジックステーション」には異例の2週連続出演。同番組で、この歌を矢野顕子と共演、
セールスだけではなく、視聴率も上らせた。アメリカ南部のアーシーな佇まいのオリジナ
ルに対して、ニューヨーク プリル・ビルディングあたりのモダンな風に包まれたこのヴァー
ジョン。どちらの窓からも見える景色は青く美しい。






Soul Musicとは直訳すると魂の歌である。ジャンルというよりアティテユードと言ったほ
うが近いかもしれない。だから自由なのだ。しかし、人間にとって自由ほど厄介なことはない。
枠の中で小さな勝ち負けを競っている日本人には最も苦手な選択だ。自由とはつまり、
心を解放することで、時間の外に飛び出すことだと僕は思う。UAは自由である。自由
な表現、自由な生活、自由な音楽。従来のソウルという音楽的な枠を大きく超えた、いや、
抱擁したこのヴァージョンは、宇宙に向けて書いた一枚の絵のようでもある。僕がいま聴
いているのもキャンパスのほんの一部で、まだまだ向こう側につながっているのだろう。
どこにつながっているかって?決まってるだろう。60年代後半のテネシー州メンフィスと
70年代の東京都国立市に!


オリジナルは1980年12月アルバム「PLEASE」収録。ライヴでは曲の途中に、ビートル
ズやオーティス・レディング等、メンバーが敬愛するバンドマンのナンバーを入れて、エ
ンディングへ突入していく。この歌により、ソウルミュージックが日本では一般的になっ
たといっても過言ではない。UAもエンディングに、さりげなくRCサクセションの別の歌
の一節を歌っているが、何の曲を入れているかは、これは聴いた人だけのアドバンテージ
としておこう。






マスタリング・スタジオで聴いた時に、RCサクセションの久保講堂とつながった。当時、
17才、僕はあの場所にいた。何度もライヴで聴いていたこの歌は、タイトル同様、羽がは
えて飛んでいるように見えた。その後、レコードになり、どれくらい聴いたかわからない。
およそロックには不似合いであろう「お月様」というワードが斬新だった。このヴァージ
ョンを聴き終えた時、僕の中で止まっていたものが動き出した。全てはこれからだ。偉大
なる物語は続いていくのだと。後日、ジャケットの撮影で国立に行った。ふと空を見上げ
た時、そこに浮かんでいたのは真っ白い雲だけだった。これでいいんだよ。またはじめよ
うぜ!斉藤和義の歌うエンジェルにも羽がついている。僕達がうつむかないように。あの
日に見た羽ととても似ている。ロックは継承だと実感した。


オリジナルは1980年6月 ここから日本のロックがはじまったと刻印されている名盤
「RHAPSODY」に収録されている。このヴァージョンは、アレンジ含め、全体に流れてい
るムードがオリジナルにとても近い。それでいて、斉藤和義作品の如き質感。有賀幹夫氏
の撮った裏ジャケの月の写真とともに聴いてほしい。ロックンロールのエンジェルが見え
るよ。かならず!






ある日、共同プロデューサーである原氏から「スローバラードは槇原さんがいいのでは?」
との電話があった。実は僕も同じことを考えていたので驚嘆し、すぐに原氏からオファー
してもらった。音楽は自由だからジャンルなんて関係ない。僕達はいつも話している。何
がロックなのか?1990年の清志郎のインタビューに「ロックだから何でもできる」という
くだりがある。この歌の想像力こそが、ロックであり音楽である。主人公の彼と彼女はそ
の後、どうなったのか?この日に刻んだ忘れられない永遠は果たしてどこに辿り着いたのか?
答えなんかいらない。謎は永遠だから謎であり、心の一番奥深い場所にあるダイヤモ
ンドなのだろう。


オリジナルは1976年シングルで発表。同年、アルバム「シングル・マン」に収録。全く売
れずにすぐに廃盤。そんな時、偶然、この歌を聴いた音楽評論家の吉見佑子氏が廃盤復活
運動を展開。見事に復刻!ロックのマスターピースとなり、現在も売れ続けている。ライヴ
には欠かせない名曲で、日本初のソウル・バラッドでもある。RCサクセション暗黒時代
に書かれたとは思えないほど、やさしく、前向きな歌。普通の人間ならあきらめたり、世
の中を排除してみたりしてもおかしくない状況の中、清志郎は本気で夢を見ていたから、
歌の中に輝きを入れたのだろう。数年後、ゴミの山の中から、ひとりの評論家が小さな光
を発見して、RCサクセションに奇跡が起こった。劇的な物語。音楽は世界を変える。






もうひとりの共同プロデューサーの中原氏 (サウンド・クリエイター) から、「ぼくの好き
な先生」=BEGINというアイディアがきた。この歌は、清志郎史上最初のヒット曲であり
ながら、その後、5人のバンドスタイルでのブレイクにより、どことなく異色作な雰囲気
があった。さらにカバーという向き合い方をした時に、その感触が大きくなり、イマジネー
ションが混乱していた。そこに中原氏から絶妙な球がきた。こんがらがった糸が一瞬で
ほどけてしまう音楽のマジック!ギター、マンドリン、アコーディオン、バンジョー、
ウォッシュボートが飛び跳ねるBEGINにしかできない無国籍なラスティック・サウンド。
ディレクターの前田氏によると、ひさびさに3人集まってのレコーディングだったようで、
沖縄でひとつの部屋に泊まり込んで練習したとか。特にマンドリンが難しく、練習だけで
一日かけたと聞いた時、このアルバムが一世紀先にも聴かれている光景が浮かんだ。


オリジナルは1972年シングルで発売。アルバムは同時発売の「初期のRCサクセション」
に収録。実在する先生をモデルにしたことはあまりにも有名。RCサクセションのファース
ト・ヒットチャート・チューンで、この後、長い暗黒時代に入る。この歌の舞台となった
日野高校に、ジャケット撮影に行った時、美術室を見せてもらった。なんと、そこは改装
されておらず、歌の中に出てくる舞台、そのままだった。天井に扇風機がついた古い造り
ではあるが、部屋中に音楽が宿り、何かが生まれる気配が漂っていた。机の上に無造作に
置かれていた、現在の美術部員が作りかけている作品を見た時、僕は驚いた!"僕はここ
にいるよ!"確かに聞こえた。新しい子供達の声が!






はじめてライヴでこの歌を聴いたのは2000年3月の清志郎トリビュート・イベントだった。
5人のRCサクセションで生き方が決まった僕にとって、初期の2枚はどうにも遠い存在だった
が、ゆずのこの一発が僕の心の枠をとっぱらってくれた!僕はふたりが歌うこの歌
が大好きで、聴く度に、エネルギーをもらう。冒頭、街の喧騒の中で歌っているシーンか
ら幕があき、一気にギターとハーモニカとタンバリンが、強く美しいアティテュードを紡
ぎだす。いまとなっては信じられないが、ゆずは横浜の街路で歌っていた。音楽業界が
フィーバーしていた時代に、ただひたすら街路で歌っていたんだ!そこには戦略や戦術はない。
歌いたいから歌っていたのだろう。スターになったいまも変わらない。だから、歌に力がある。
僕はこのヴァージョンを聴いた時、思わずこみあげてきた。あふれる熱い涙が!
ライヴではなく、レコーディング作品としては今回がはじめて。


オリジナルは1972年アルバム「初期のRCサクセション」に収録されている。ギターをか
き鳴らして、真っ黒い声でシャウトする清志郎は異端の極みである。当時、一体、誰がこ
んな歌を聴いたのだろう。いま聴いても斬新なこの歌は僕たちにロックの本質をつきつける。
ゆるがない!ぶれない!それは本気で歌っているからだ!






いつ終わるのかわからない雨が降り注ぐ日本。こんなに激しい雨じゃ、雨後の筍も生えて
こない。しかし、どんな時もロックンロールバンドはLIVE=生きる。それは清志郎が教え
てくれた。RCサクセションは、ライヴハウス〜武道館、スタジアムへかけあがった「日本
ではじめて成功したロックンロールバンド」であり、フロンティアであり、オリジネイター
でもある。バトンは受け継がれ、ロックンロールバンドは歌う。どんなに時代が変わっ
てもLIVE=生きる。これだけは変わらない。大丈夫、ロックンロールの神様がついている!
本テイクはモノラル録音。THE NEAT BEATSの眞鍋氏がプロデュース。まるでヤードバーズ
のようなリズム&ブルース。アメリカ音楽にやられた60年代のイギリスのグループを、
いまの東京に変換させたスタイルは実に初々しい。


オリジナルは2006年、アルバム「夢助」に収録。スティーブ・クロッパーがプロデュース。
ナッシュビル録音。発表当時、"RCサクセションがきこえる RCサクセションが流れてる"
と言う歌詞が話題を呼んだ。そして、2012年現在、この歌はたくさんのリスナーの支えに
なっている。歌は想像力である。聴いた人達のインスピレーションが新しい景色を開く。
100年経っても、200年経っても、時空を超えて歌われる。"Oh 何度でも夢を見せてやる こ
の世界が平和だったころの夢"。愛と平和、夢と勇気、ロックンロール!






この歌を怒髪天にお願いしたくて、連絡先を模索している時、偶然、開いたフェイス
ブックで怒髪天at 中野サンプラザ 満員御礼!という記事を発見!しかも、よく知っている
テイチクの佐々倉さんが書いていた。幸運にも、彼女は所属レコード会社の担当だったのだ!
すぐに連絡をとり、バンドに手紙を書き、実現に至った。彼らのヴァージョンを聴いた時、
1980年のRCサクセションを思い出した。それはノスタルジーではなく、全く新しい命と
して、僕をぶっ飛ばしてくれた!時代は乗るものじゃない!ひっくり返すんだ!チャンス
はいつでも僕達の中にある。


オリジナルは1980年シングルとしてリリース。しかし、当時のスタジオ技術ではRCサク
セションの威力と勢いをリアルにとらえることができず、同年、4月5日 東京 久保講堂で
のライヴ盤「RHAPSODY」に収録されブレイク!ティーンエイジャーの未来を変えた!
2000年、某雑誌での鹿野 淳氏×兵庫慎二氏の対談で、両氏は日本のロックの起源をRCサ
クセション「RHAPSODY」であると明言している。中でも「雨あがりの夜空に」は代表曲
であり、日本初のロック・スタンダード。ライヴでもりあがる歌で、はじめて聴いた人も

歌えるロックンロール!KING OF SONGWRITER!名曲は人を共鳴させる!






ロックは人間力である。それを人に伝える時に歌がやってくる。歌いたいことがあるから
歌う。聴いた人達の生き方を変える。メロディーがいいとか、音がいいとか、サビなんか
関係ない!第一音から凄い!一秒もかからない!そんなことを突きぬけて、僕たちの心を
直撃する。吉井和哉のこのヴァージョンを聴けばわかる。どんなにヘヴィーな時だって、
あきらめたり、卑屈になったり、勝負から降りたりしなければ、いつかかならず夢を現実
にすることができる。負けて、負け続けて、さんざんな目にあっても、もがいてもがいて
突破する。そして、安住せずに、また戦い続ける。ロックはロールするから強く美しい。


オリジナルは1987年、清志郎初のソロアルバム「RAZOR SHARP」のタイトル・チューン。
ブロックヘッズとクラッシュのトッパー・ヒードンとともに制作されたアルバムは、日本の
ロックの新しい扉をぶちあけた。つまり、日本人が海外のアーティストと対等に渡り合った
はじめてのロックアルバムとなったんだ!1990年、ローリング・ストーンズ初来日。
ミック・ジャガー×清志郎 雑誌の対談時、ミックはこのアルバムのジャケットを見ながら、
「ブロックヘッズはいいバンドだよ」と笑みを浮かべていたらしい。プレスルームはホテ
ルオークラ最上階。この日、ストーンズのオフィシャル・フォトグラファーとして、ふたり
の黄金のツーショトを撮影したのは、今回のカバーアルバムのビジュアル・プロデューサー
である有賀幹夫氏!ロックはロールしている!最高だぜ!






エンディングは新・カバーの女王としても名高い一青窈。彼女の出演したドキュメンタリー
番組を見て、ぜひこの歌を歌って頂きたいと熱望して成就した。小林武史プロデュース
作品。レコーディングは3月11日、震災から一年後のその日であった。ワンテイク!歌に
思いと祈りを重ねて歌う彼女は、まるで聖母であり、同じ地上に暮らしているひとりの女
性でもある。生まれたばかりの「永遠の一瞬」は熱く、やさしく、穏やかに、愛深く歌い
込まれる。暗い夜は明けていく。自分の信じている音楽こそ、帰る家であり、愛の心臓。
大丈夫、人間には無数の可能性がある。これから先、何かに傷ついたり迷ったりしたら、
ここに帰ってくるといい。きっと、心をほどいてくれるはずだ。


オリジナルは1996年シングルでリリース。ナッシュビル録音。ウィリー・ウィークス(ベース)、
チェスター・トンプソン(ドラムス)をバックに歌われるスケールの大きなゴスペ
ル・バラード。ライヴでも人気の高いナンバー。特にエンディングでは語りかけるような
歌とフェイクが、かつて体験したことのない感動を呼ぶ。歌に完結はない。オリジナルが
成長し、時にカバーで進化を遂げる。世界的にも、歴史的にも、どこにもない、誰にも似
ていない唯一無二のオリジナルを作り歌う清志郎を、僕は世界中の人に自慢したい!




以上、13アーティスト+ひとりの写真家による忌野清志郎作品集。超人的最高傑作です。
2012年の現在にしかできない永遠の愛聴盤。いつまでもバトンされていくアルバム。
ジャケットを見て、13曲通して聴いていると、時間も空間も時代も何もかも超える。これを読んで
くれた君達の「心のターンテーブル」に刻んでもらえたらうれしいです!
フォーライフミュージックエンタテイメント
プロデューサー
高橋康浩